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ハンセン病訴訟をわかりやすく説明 判決結果内容と原因や歴史年表も

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ハンセン病家族訴訟で、熊本地裁は28日、国の責任を認め、原告541名に対し、総額3億8千万円余りの支払い命令を出しました。

元患者の家族による集団訴訟の判決は、初めてです。

ここで、判りにくいのは、患者本人ではなく、元患者の家族による訴訟がなぜ起きて、なぜ国の責任を認める判決が下ったのかです。

そこには、ハンセン病に対する偏見と、国が防疫対策としてとった隔離政策が引き起こした差別の歴史が暗い影を落としています。

撤廃されるまで、90年間も執行された、ハンセン病患者への隔離政策と、それが作り出した社会の偏見と差別の歴史を調べてみました。

ハンセン病訴訟をわかりやすく説明 判決結果内容も

ハンセン病家族訴訟の争点

今回の裁判は、ハンセン病患者本人ではなく、身内や親族にハンセン病患者がいた為、不当な差別を受けた家族が起こした集団訴訟です。

実際、ハンセン病の感染力は、非常に弱く、殆ど感染する心配が無いのに、就職で不利になったり、町中に住めないなどの差別が横行しました。

また、根拠も無く遺伝による発病が疑われた為、縁談が断わられるという事も多かったようです。

これは、単に親族にハンセン病患者がいるというだけで、行われました。

こうした国の間違った防疫対策により、不当に社会から阻害されたハンセン病患者家族に対して、責任を争ったのが、今回の裁判です。

判決

元患者家族561人が、国に1人当たり550万円の損害賠償と謝罪を求めた集団訴訟の判決で、

熊本地裁は28日、国の責任を認め、原告541人に対し、1人当たり33万~143万円(総額3億7675万円)を支払うよう命じた。元患者の家族による集団訴訟の判決は初めて。

遠藤浩太郎裁判長(佐藤道恵裁判長代読)は

「隔離政策により、家族が国民から差別を受ける一種の社会構造を形成し、差別被害を発生させた。家族間の交流を阻み、家族関係の形成も阻害させた。原告らは人格形成に必要な最低限度の社会生活を喪失した」と指摘した。

毎日新聞

ハンセン病とは?

ハンセン病とは、ある一定の年齢以上の方にとっては、「らい病」と言った方が、理解しやすいと思います。

病気自体は、キリスト教の聖書にも記述がある程、古くから知られている病気です。

1873年にノルウェーの医師、アルマウェル・ハンセン氏が「らい菌」という病原菌を発見するまで、正体不明の病気として、様々な呼び方がされていました。

日本でも、「らい病」からハンセン病へと改名されたのですが、それには呼称の統一という事以前に、「らい病」という言葉から思い起こされる、差別と偏見の歴史を断ち切る意味合いが合ったと言われています。

なので、特に歴史的文脈を誇張するようなケース以外では、「らい病」という言葉は、使われなくなりました。

症状は主に、末梢神経障害と皮膚症状になります。潜伏期間が長く、症状の進行も遅いので、かなり病気が進行してから気がつく事になります。

ハンセン病を特徴づけるのは、鼻や耳などの欠損や、毛髪の抜け落ちなど、外見を著しく傷つける症状です。

器官の機能を低下させるのは、もちろんですが、容姿的な変形が恐怖心を引き起こす程に激しい為、昔から罹患者は、恐怖の対象になっていました。

ハンセン病の原因

「らい菌」と言われる病原菌によって、引き起こされます。

現在では、治療法も確立し、完治させる事が可能な病気です。

また、つい最近まで固く信じられていた伝染病説も、極めて感染力が低く、殆どが自然感染によるものです。

日本での新規患者数は、毎年一桁台で、殆どが海外旅行の際に罹患したケースです。ほぼ、駆逐されたと言って良いでしょう。

ハンセン病の歴史年表

厚生労働省

ハンセン病の隔離政策とは

1931年の「らい予防法」により、終身隔離・患者撲滅政策が、国の政策として強行されました。

この隔離を主体とする「らい予防法」は、内容の部分的な修正はあったものの、1996年まで続きました。

こうした強行な政策は、「らい病」患者に対する過度な偏見や差別。隔離による生活基盤の破壊など、様々な問題を引き起こし、既に完治している千人以上の元ハンセン病患者が、社会からの偏見や、社会適応障害等で全国13ヶ所の国立ハンセン病療養所で暮らしています。

まとめ

聞いた話ですが、その方が小学生だった頃、昭和50年代だったとのことですが、神奈川県にある北里大学病院の付近を歩いていた時、目深にフードを被った女性の顔を舗道の反対側から、偶然見てしまった事があったそうです。

その方は子どもだった事もあり、衝撃で立ちすくんでしまったので、恐らく相手も気がついたとのことですが、症状が進行した状態のハンセン病患者の外見というのは、それくらいインパクトがあるそうです。

非常に表現がダイレクトになりますが、文字通り顔が崩れているように見えたとのことです。

それから、既に40年近く経過しているはずですが、鮮明に覚えているとのことですから、理性では抑えきれない衝撃が判ります。

もちろん、患者さんにとって何の責任も無い事ですが、ハンセン病が正体不明の難病だった頃に強制隔離という政策を生んだ背景も一面では理解できてしまう方がおられるのも事実です。

本気で調べれば、正しい情報が手に入る現代こそ、偏見に惑わされない態度が大事であると思います。

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