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逃亡犯条例をわかりやすく解説!香港デモ?一国二制度や雨傘運動についても

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AFP通信

2019年6月9日に、香港で、103万人規模のデモが行われ、香港の中心街は、デモ参加者で溢れました。

このデモは、香港の行政府が改正しようとしている「逃亡犯条例」に反対の意思を表明するもので、1997年の香港返還以来、最大規模のデモ行動になります。

このデモで、香港警察は、11人の逮捕者を出し、80人以上の負傷者を出したと発表しています。

これだけの市民の抵抗を受ける、「逃亡犯条例」の改正案とは、何なのか。

そして、特殊な環境にある香港の歴史から、今回の改正案が、なぜ民主主義の危機なのか。

順番に紐解いていきたいと思います。

 

逃亡犯条例をわかりやすく解説

香港は、中国の中で特異な場所です。100年間、イギリスの租借地だった為、中国にあって、唯一、資本主義と民主主義の牙城として、守られてきました。しかし、香港が中国へ返還された為、今は中国国内の特別行政地区という扱いになっています。

なぜ、そんなややっこしい事になったかと言えば、香港市民自体が、中国共産党による支配を、まったく望んでいなかったからです。大陸内にあって、中国本土で起きた、様々な人権弾圧や、共産党独裁の横暴を見てきた香港市民は、共産党の支配が始まれば自由が死ぬと疑いなく考えました。

その為、急速に富裕層の海外移住や、資産の持ち出しが起き、富の流出を恐れた当時の共産党政府が、特別行政区とする事で、香港の政治に大幅な独立自治と共産党からの不干渉を約束したのです。

しかし、当然の事ながら、中国共産党は、その約束をいつまでも守る気はなく、香港内の政治勢力に親共産党派を形成すると、合法的に少しずつ法律を改正し、実質的な支配を目論見ました。

数年前に話題になった「雨傘革命」も、香港政府の代表者である行政長官に、制度的に中国共産党シンパしか当選できない仕組みに変える動きに対して、香港の学生が立ち上がったデモでした。

結果として現行政長官は、地元香港出身者ですが、中国共産党依りの政策を推し進めています。それは、現行の香港の選挙制度が、「中国に愛国心を持っている人物」と、評価される人間しか当選できなくなっているからです。

そして、今回提出された「逃亡犯条例」ですが、いわゆる犯罪者引き渡し条約のようなものです。元々の条例には、「香港以外の中国その他の地方には、この条例を適用しない」とあり、香港の司法の独立を保障していました。今回の改正は、この部分の削除を目的としています。

普通に考えると、特に問題が無いように思えますが、中国共産党が目論んでいるのは、「共産党が逃亡犯と指名した人間は、例外無く引き渡せ」という事です。共産党が犯人と決めつけた人物に適用されるので、政治犯や不穏分子、反革命分子と共産党が考える相手を、罪名を捏造してでも引き渡しを要求できる事になります。

香港は、司法的に独立しているので、中国本土にあって、民主化勢力や、反共産党勢力の活動家の拠点となっています。この改正案が通ると、なし崩し的に香港の自治権が崩される可能性が出てきます。

香港の大規模デモはなぜ起きた?

スプートニク

純粋に自由が奪われる事への恐怖です。中国共産党の影響力が強まれば、思想の取り締まり、あらゆるものの検閲が、いずれは始まります。特に、政治に対して、自由に批判する権利が剥奪されます。近代民主主義制度に慣れ親しんだ香港市民にとって、これは苦痛以外の何者でもありません。

一国二制度とは?

1982年に、中国の国家主席であった鄧小平氏が始めて使ったと言われる言葉です。主に経済政策で、中国の内地で例外的な制度を設けた地区と中国共産党との関係を示したもので、制度上は、全国人民代表大会の管理下の元で、高度な自治と独立が認められたと規定されています。

雨傘運動とは?

ハーバービジスネスオンライン

香港で、2014年9月28日から79日間続いた民主化要求デモです。2017年の香港行政長官選挙を巡って、中国中央政府が、民主派の立候補者を、実質的に排除する選挙制度を決定した事に対する抗議デモです。

数万人の学生を中心にした市民が、繁華街を占拠し、抗議活動を続けました。警察の撃つ催涙弾に対抗する為、雨傘を差してデモを継続した事から、雨傘運動と言われています。

SNSなどネットの反応は?

https://twitter.com/N74580626/status/1139025021760786432

https://twitter.com/kokumotsu_ocha/status/1138786561552576513

まとめ

中国経済が昇竜のような勢いで、伸びていた時、逆に「失われた10年」で、停滞の渦の中にいた日本に見切りをつけて、大陸に渡った日本人が、結構いました。若い人もいましたが、多くはある程度の資産をもっていて、中国で新しい事業を起こし、大陸に骨を埋める覚悟で渡っていった人達です。年齢的には、もう70歳~80歳になるわけですが、そういう人達が、続々と日本に帰ってきています。

何があったかといえば、「純粋に変わっていく日常が怖い」のだそうです。警察から何かをされたというわけではなく、乱雑ではあったけど、自由闊達で活気に満ちていた繁華街が、小奇麗にはなったけれど、抑圧された雰囲気に包まれる。都市部で視線を遮るように乱立する、共産党と習近平と愛国を礼賛する巨大看板。そうした、一つ一つが息苦しくで、日本を出た時に決めた覚悟が揺らいだのだそうです。

自由が制限されるというのは、最初からそういう社会に育っていなければ、大した価値も無い事なのかも知れませんが、それを知っている人からすれば、失うのが耐え難い苦痛になる事なのでしょう。